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 見上げれば、どこまでも澄み切った雄大な青空が広がっていた。

 梅雨を越えた陽光は燦々と輝き、その射殺すような射光が降り注いだ。

 場所は屋上。

 そこに一夜はいた。

 昼休みになったにも関わらず、屋上には一夜ひとり。

 それもその筈。

 数年前より御崎高校では安全面を考慮し、屋上の扉を施錠し一般生徒の立ち入りを禁止

していた。

 ならば何故、一夜は屋上にいるのか。

 答えは単純にして明快。 余計な伏線も関係なく、至極当たり前の理由。

 一夜は屋上へと続く扉の鍵を持っているのだ。

 その理由は追々語るとして、物語は淡々と進む。

「―――― 一夜」

 突然の声。

 屋上を囲うように設置された手摺に寄りかかり瞳を閉じていた一夜の後方、丁度階下へと

続く扉の方向から聞こえた声。

 ゆっくりと、瞳を開けその方向へと振り返れば、そこに長い亜麻色の髪を微風で揺らした

室井八重がいた。

「やっぱり、ココにいた」

 可愛らしい花柄の弁当箱を持ちながら、八重がゆっくりと一夜へと歩く。

「八重がココに来るのも久しぶりだな。

 いいのか三枝さんは?」

「いい。

 今日はココでお昼食べるから」

 ちょこん、と擬音が聞こえそうな程に小柄な体躯をコンクリートへと下ろし、その弁当箱を開

けた。

「……一夜、お昼食べないの?」

 手ぶらの一夜を見つめながら、八重が訊いた。

「あぁ。

 今日は腹減ってないしな」

 一夜はズボンのポケットから煙草とジッポーを取り出し、煙草を口に咥えてから手馴れた

手つきで火を点けた。

 深く息を吸ってからゆっくりと紫煙を吐き出した。

 紫煙が風に混じり、融けて行く。

 あぁ美味いな、と二度三度先程の行為を繰り返していると、鋭い視線を感じた。

 八重が睨む様に半眼で一夜を見つめていた。

「……煙草、身体に悪いよ」

「そう言わないでくれよ。

 四時間も煙草吸ってねぇからヤニ切れなんだよ」

「煙草、美味しい?」

「あぁ、美味い」

 そう言って、また煙草をふかす。

 八重は興味深そうに、その光景を眺めていたが、やがて音もなく一夜の傍に近づいてき

た。

「どした?」

 一夜は不思議そうに首を傾げて訊く。

「煙草、吸ってみたい」

 八重の言葉に一夜は数秒考え込む。

 煙草は人体に悪影響を与え肺気腫を悪化させるっていうしな、と自分の事は棚に置いて

果たして未成年が吸うべきではないなっと思った。

 まぁ、いいか。

 と、割といい加減に考えてから、口に咥えた煙草を八重へと差し出した。

 八重はそれを不思議そうに見つめてから口に咥え、一夜がしていたように大きく吸った。

 あぁ、そんなに吸い込んだら――――。

 一夜がそう考えた瞬間、予想通り八重はゲホゲホと盛大に咳き込んでいた。

 苦しそうに顔を歪め、瞳には薄っすらと涙を溜めていた。

「……コホ、美味しくない」

「そりゃね。

 吸ったことない人が、あれだけ煙を吸い込めば咳き込むさ」

 一夜は床に落ちた煙草を拾い上げ、持参した無粋なデザインの携帯灰皿へ入れてから

新しい煙草に火を点けた。

 微風が吹き、八重の髪を撫でた。

 亜麻色の髪が揺れ、同様に空色のチェック柄のスカートが揺れた。

 一夜は改めて思う。

 亜麻色の腰までの長い髪。

 今年で十七歳になるというのに同年代の女子の平均身長を下回る華奢で小柄な体躯。

  そのどこまでも透き通っている鳶色の大きな瞳。

 一夜自身、気付かぬうちに手が、

「一夜……?」

 揺れる髪を、まるで壊れでも扱うかのように優しい手つきで髪を撫でていた。

 指で亜麻色の髪を指で梳かせばサラサラと流れる感触。

「………」

 暫し驚き瞳を見開いた八重も、徐々に安心したように眼が細まっていく。

 されるがままに、瞳を閉じた。

「相変わらずだな、お二人さん」

 響くは男の声。

 愉快そう声色は軽薄な印象を与え、しかし扉を背に佇む巨躯は軽薄というより畏怖の印

象を与える容姿をしていた。

 その百九十を超える長身に白いカッターシャツから伸びる日焼けした両腕は引き締まった

筋肉に包まれて太い。

 頭は短く刈り込んであり、瞳は獲物を狙う獣のように鋭い。

 一夜と八重のクラスメートである刈谷真がそこにいた。

「いやー、この暑い中イチャ付きやがって。

 お盛んだな、お二人さん」

 ドスドスと地響きが聞えそうな足取りで二人の傍までやって来ると、その怖そうな表情を

無邪気そうな笑顔へと変えた。

 まるで新しい玩具を買って貰った子供のように、邪気など感じさせない笑みだった。

「そういう真こそ何かあったか?

 学校に来るなんて珍しいな」

「一応学生だからな。

 必要最低限の授業は出席しなくちゃな」

 面倒だけどな、と付け加え無邪気に笑う真。

 刈谷真という人物は、大半の生徒と教師の間では不良と認識されている。

 その理由は、鋭い目付きと体躯、少し茶色に染めた髪が原因といって過言ではない。

 第一印象で、相手に警戒心と不信感を与え、しかし会話をしてみれば親しみやすい言動

と表情で好感さえ持てる人物だった。

 残念ながら一夜と八重とごく一部以外は真の本質を知らずに恐怖心を抱いている。

「ところでさ、お前ら付き合ってんか?」

 意地の悪そうな笑みを浮かべて、真が訊いた。

 突然の問い掛けに、一夜は一瞬呆けたような表情になり、それから声をあげて笑い出し

た。

 八重の髪に伸びた腕を引っ込めて腹を抱えて愉快そうに笑う。

「俺、と、八重が…? 釣り合うわけないじゃん」

 ひとしきり笑ってから一夜が言った。

 一夜は思う。

 室井八重とは可愛らしい体躯に端整な顔、そして成績でも学年屈指の頭脳を持ち、多少

喜怒哀楽の感情の起伏が薄い性格をしているが男子は勿論のこと、女子生徒の友達も多

い生徒であった。

 噂には校内にファンクラブもあるらしい。

 それとは逆に、一夜は平凡な生徒だと自認している。

 成績は中の下、運動もそこそこ、高校生ながら喫煙者ではあるが、平凡という言葉が似合

う生徒だった。

 例えるなら空中を舞う鳥と地上を這い回る蟻。

 鳥が八重で蟻は一夜。

 どんなに手を伸ばしても届かない存在、それが八重だった。

 しかし、八重は元来の性格なのか、そんな一夜に話しかけてくれたり一緒に昼食を共にし

たりしてくれている。

 本当にいい奴だな、と一夜は認識している。

 だが、八重に抱くのは愛情ではなく友情だ。

 故に一夜の中では八重と恋人同士になることなど有り得ないことだった。

「んだよ。

 俺は結構お似合いだと思うけどな」

 ブツブツと呟く真を横目に、一夜は本日三本目になる煙草に火を点け、大きく息を吸い紫

煙を肺に送り込んで、全身の力を抜くように吐き出した。













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