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 夜の帳が降りてから数刻経ち、もうそろそろ日付が変わろうかという時間帯。

 一夜はひとり自宅にいた。

 築三十余年のアパート『白波荘』。

 長い年月を雨風に晒された外壁は、元は白い外壁も今や黒い染みや亀裂が所々あり、ど

ちらかと云えば暗いイメージを連想させるアパートだった。

 家賃が二万七千円という驚きの安さの為に、一夜はこのアパートが気に入っていた。

 白波荘は二階建ての全八部屋だった。

 一夜の部屋は二階の角部屋204号室に住み、一夜の他には101号室に老夫婦の管理

人、103号室に大学生、201号室には中年男性の3人が住んでいるが基本的に近所付き

合いはない。

 それは一人暮らしをしている一夜にとっては余計な詮索はされず好都合だった。

 十畳一間のキッチンとトイレ付きの部屋。

 一夜の部屋は基本的に物がなく、どちらかといえば質素だった。

 部屋の中央に木製の四角形のテーブル、その奥にベッド、そしてテレビと洋服箪笥、とい

った具合に、一夜ぐらいの年齢の少年少女達に比べて漫画や雑貨などはない。

 一夜にとっては必要最低限の物があればよく、むやみやたらと無駄な物を置きたがる彼ら

の思考が理解出来なかった。

 一夜は煙草を一本出して、それに火をつけた。

 ふと、一夜の視線はテレビの横にあるバラの花が細工が施された写真たてが視界に入っ

た。

 黄ばんだように変色した写真には三人の男女が写っていた。

 朗らかに笑っている男性に、その男性に寄り添う女性の腕の中には小さな男の子が抱か

れている。

 幼い頃の一夜と両親だ。

「父さん、母さん……」

 呟いた言葉に、何の意味があるのだろうか。

 いくら父と母の名を呼ぼうとも返事があるわけない事など、一夜自身良く解っていた。

「……俺、」

 とうの昔に涙は枯れた。

 泣いて泣いて泣いて、それでも泣き続けた。

 あの両親を亡くした日から、泣いたことはない。

 父と母の墓前に一夜は誓った。

 もう泣かないで、一人でも生きると。

 悲しみは確かに一夜の胸にあり、幼き日に負った心の傷は多分この先も癒える事はない

だろうが、

 それでも、亡くなった二人の分まで生きる。

 それだけが、一夜の願いだった。







 一夜が紫煙を吐き出した時、何の前触れもなく携帯電話が鳴り出した。

 穏やかで優雅に奏でられるメロディはメールの着信音。

 どうやらメールが送られてきたらしい。

 チラッとテーブル上にある置時計は丁度深夜零時を指していた。

 ――――メール? こんな時間に?

 基本的に、大して友好関係が広くない一夜の携帯番号とメールアドレスを知っているのは

極小数であり、こんな深夜にメールを送ってくる人物など一夜の周りにはいなかった。

 急いで届いたメールを見てみれば、それは知らないアドレスだった。

 メールの件名には『芦屋一夜様へ』とあるところから察するに、それはどうやら迷惑メール

や間違いメールではないようだった。

 一夜は不審に思いながらもメールを開いた。

『真実を知りたくないかい?

           佐々木 剛』

 たった一文。

 『佐々木 剛』

 その名前が指し示す意味を見出し、恐怖した。

 いや、悪い冗談だ。

 性質の悪い冗談と考え直し、一夜はメールを消去しようと操作したが、どうやら添付ファイ

ルが添えてあるようだった。

 一瞬、背筋を這うような悪寒に襲われる。

 何故か観てはいけない。

 ほぼ直感だが、一夜の第六感が警報のように全身を駆け巡り、開けるなと告げていた。

 しかし一夜はパンドラの箱を開けてしまった。

 その瞬間、思考が停止した。

 頭の中は真っ白になり何も考えられない状態になり、しかし、鼓動の音だけが嫌に響い

た。

 息をするのも忘れて画面を凝視した。

 添付ファイルは、一夜の両親の画像だった。

 泣きながら幼い一夜を抱きしめる母の姿に、まるで懇願する表情で眼を見開く父の姿。

 そして、ナイフを握った手。

 一夜は知っている。

 この写真の続きを。

 振り下ろされる凶刃、飛び散る鮮血、力なく倒れる身体。

 そして、絶命する両親の姿を。

「――――ッ、」

 脳内に再生された光景を思い浮かべた瞬間、込み上げる不快感。

「なんで……」

 思考が停止し、運動もしてないのに息は荒く、鼓動が早鐘のように脈打った。

「なんで」

 血は煮え滾り、ある感情が膨れ上がった。

 両親を亡くした日から、出来るだけ考えないようにしてきた感情。

 どす黒く暗い、不の感情。

 この感情は何だ。

 一夜は知っている。

 この感情の名を。

「あいつだ」

 呟く言葉は虚空に消え、一夜は熱い吐息を吐き出した。

「アイツが、両親を殺した……」

 その感情は、憎悪。

 一夜の頭には、『復讐』という文字が浮かんだ。













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